るーむ四季

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るーむ四季

春なる時も冬なる時も


雪の反射が眩しく目も開けられないような朝、ヴィルジニーはホーイックを発った。
「女性の一人旅は何かと大変でしょう。どうかお気を付けて」
見送るニクソンの横、ランサードはヴィルジニーに声をかけず、その隣や前を歩くこともしない。
既に、ランサードの旅は終わっていた。
「女性と呼ばれるほど女々しくはない。……でも、言葉はありがたく貰っておくわ」
不器用ながら礼を告げ、赤いグローブに包んだ片手を挙げてヴィルジニーは立ち去った。
「こんな早朝に出ることもないだろうに」
見送りながらランサードはぼやき、赤くなった指先をこすり合わせる。指先だけでなく鼻先も赤くするランサードに微笑みを返し、ニクソンは「行きましょうか」と白い息と共に言った。
朝早く人もまばらな雪道をゆるゆると歩く二人の手は、ごく自然に繋がれていた。
「寒いのは困るな」
「嫌いでしたか?」
「……昔よりも」眉間に皺を寄せ、息の温かさを確かめるように口元に手を添えてランサードは続ける。「寒さが堪えるようになった。骨身に染みる寒さが、歳を取ったことを感じさせる。……お前は、感じないのか」
「感じますとも。ただ、私の場合は――」
言いさして、ニクソンは沈黙する。ランサードは途切れた言葉の続きを探すようにニクソンの表情を窺うが、皺の増えた目元はランサードに似て寡黙だった。
静かな雪の街を、二人は歩く。辺りには大粒の牡丹雪が積もる音ばかり。その中を歩くだけで、ランサードは自身の老いを強く感じていた。
少し前の自分であれば、愛しい人を隣にしてこう大人しくなどしていられなかった。外だろうと人気がないならニクソンの華奢な身体を抱き、唇を重ねるくらいはしたはずだ。今そうしないのは、そう、きっと急ぐ理由がないから。春が来ても夏が来ても、何度冬を迎えようと、ランサードがホーイックを発つ日は来ない。
旅を終えたのは、加齢のせいだ。
戦い方は随分とこなれたが、戦いそのものには疲れ果ててしまった。世界中の町を見渡して、それら全てに飽いてしまった。何より老いゆく身体で、不老の娘を見つめるのは辛かった。家出した自分にも帰る場所が欲しいと思った時が、潮時だった。
隣を歩くニクソンの手を、僅かばかり強く握る。夜のことも最近はすっかり減ってしまった。互いにそういうことから興味を失ったわけではない――親愛も情愛も性愛も、かつてと同じように抱いている。ただ、少しばかり、時が流れたせいだ。
「少しも、思い出せなくなりました」やがてニクソンは口を開く。「以前ここで生きていたあの子達の声や仕草が――誰の顔も、もう。忘れたいと願ったことも、失いたいと祈ったこともありましたが……失くしてしまった今では、憎いのです」
全てを押し流した時間が。
全てを焼き払った炎が。
全てを焼き払った、自分が。
ランサードは歩みを止め、身体の向きを変えてニクソンと向き合った。ランサードの体重で押し固められた雪が軋むのを足の裏に感じながら、ランサードはニクソンの瞳を見つめる。繋いだ手の他に、触れる場所はない。 「俺がいる」
雪のように白い息が言葉と共に現れて消える。ニクソンの長い睫毛に一粒の雪が落ちて溶けるのを見届けてから、ランサードは同じ言葉をもう一度囁いた。
「俺がいる」
「――はい。貴方しか、もう」
ランサードの胸にニクソンは身体を預け、彼の背に腕を回した。ランサードの腕を拘束するような、一方的な抱擁。ランサードは自分より小さく、それでも大きい身体を抱き返したかったが、幼子のようにしがみつくニクソンがそれを望んでいないのは何となく分かった。
抱かれたまま動かず押し黙るランサードに向け、ニクソンは声を絞り出す。
「貴方だけは、失いたくない」
茶色の癖毛も少しずつ白く褪せてきた。いずれ、こうして強く抱き締めることも出来ないほどに力は衰えていくのだろう。
「ランサード。貴方は、私の傍から離れずにいてくださいますか」
「ああ」
「私が老いても、どうなっても」
「傍にいる」
屈み、ランサードは自分の頬をニクソンの頬に押し当てる。どちらの頬も冷えていて、呼吸の熱さばかりが感じられた。
離れないでください、離さない。
努めて淡々と言葉を紡ぎ、ランサードは告げる。
「死が二人を分かつまで、ずっと」
この愛に誓って。

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