るーむ四季

BIRTH(前)


本作にはボーイズラブの描写があります


「随分と長居するのね」
ヴィルジニーが心底どうでもよさそうな声を出す話題は、彼女が内心とても気にしていることだということをランサードは経験から知っていた。
「そうか? まだたったの……いや、もう二週間も経ってるか」
「ええ。とても珍しいけど、そんなに滞在してるの」
早いな、と嘆息しかけるランサードに畳み掛けるように言って、ヴィルジニーは手元に視線を移す。庭先の花壇から摘んできた色とりどりの花の葉を切っていく作業。それは二人のどちらかがやろうと提案したことではなく、今は不在のこの家の主にお願いされたことだ。
「花瓶、頂戴」
「ああ。……それがどうした。前、王都にいた時はもっと長かっただろう」
二週間ここに滞在していることを長いとヴィルジニーは言っているが、半年ほど前、王都ミネルヴァに一ヶ月ほどしたことがあった。確かに大抵は一週間も滞在していれば長い方だが、長期の滞在だって過去に例がないわけではないのだから、そう気にするほどのことではないはずだ。
確かにあの時の王都滞在と今の滞在は状況が違う。王都にはヤンシーとドリスがいるから数日は一緒に過ごしたし、授業参観ではないが、こっそりアカデミーの様子も探った。分割払いにして貰っている?救済?絡みの報奨金を受け取りに城へも行き、そうなればミネルヴァとの世間話もある。ついでだからとランサードは軍へも赴いて剣術を披露したし、ヴィルジニーはヴィルジニーでゲオルク亡きグラウンドの様子をデイジーらから聞きたがった。ついでにヴェーネの元へ足を延ばしてみたり、デパートで服を見繕ったり――王都へ行くと、ともかく盛り沢山なのだ。
それに比べ、ここには大した用事もない。元から片田舎だし、二人と面識のある人間も一人しかいない。やることなど日向ぼっこか辺りの草むしりくらいで、王都にいた時と比べれば低密度な日々だ。
「構わないだろう。目的のある旅でもない」
そう言われて、ヴィルジニーはもどかしそうに口元を歪めた。目的などあるわけがない。彼女は無目的な長期滞在を咎めているのではなく、ここにそこまでして滞在したがる理由を聞きたかったのだ。とはいえ彼女もその理由くらいはとっくに分かっている。ヴィルジニーだけでなく、きっとヤンシーやドリス、マキシムにだって分かる。それでもランサードの口からそれを聞きたいのは、それはなぜだか自分でも分からない。
ヴィルジニーは花瓶に花を挿し終えると、黙ったまま口を尖らせた。自分がランサードに問うたことに特に意味はないものだから、これ以上の追求は出来ない。それが悔しく、のらくらとかわすランサードが腹立たしく、かつては持ち得なかった?形容化出来ない感情?が自分にあることが喜ばしかった。新たな花瓶をランサードから受け取り花を挿しながら、むむ、と唸っていると、傍らの男からふ、と笑みが溢れた。
「……何?」
あからさまに不機嫌な表情と声音で訊いてみるが、ランサードの笑いは止まる様子がない。すまない、と言ってランサードはいつもの顔でヴィルジニーに向き直ろうとするのだが、ヴィルジニーの顔にまた破顔して目を逸らす。彼なりの大笑いが収まる頃、「何がおかしい」と訊くヴィルジニーはすっかり臍を曲げていた。
「お前が怒るとな」思い出し笑いは下唇を噛むことでどうにか抑え、ランサードは言った。「凄く、面白い」
「なっ――!」
予想もしていなかった言葉にヴィルジニーは気色ばんだ。怒っている人間を前に「面白い」とは何事か。花瓶をテーブルに置いて臨戦態勢を取ろうとしたその時、
「戻りましたよ」
家主――ニクソンが入ってきた。ヴィルジニーはぷいとランサードから顔を背けて花瓶に挿す花の選別を始め、お帰り、とランサードは片手を上げた。
「おや、お取込み中で?」
「別に。花瓶もヴィルジニーが持ってるので最後だ」
ありがとうございます、と言ってニクソンは手に持っていたビニール袋をテーブルに置いた。ビニール袋は膨らんでいるが重くはないようで、とすんと軽い音を立てた。半透明の袋から、黒に近い紫色の球体の群れが透けている。小指の先ほどの球であることやその色、連なっている点が葡萄によく似ているが、見慣れたものとはどこか違う。
「それは?」
「葡萄によく似ているでしょう。名前は忘れましたが……牛蒡の一種なんです。そこの森によく生えていて。綺麗でしょう?」
ランサードの質問に、泥で汚れた手を洗いながらニクソンは答える。へえ、と相槌を打ってランサードはヴィルジニーから花瓶を受け取り、近くの棚に適当に飾っておいた。
「こんなものでいいか?」
「すいません、何から何までお願いしてしまって」
「いいのよ、どうせ暇なんだから」
四季折々の花を育て、飾り、眺めるのがニクソンの最近の趣味らしい。棄てられた幼天使達を探すために森を見て回る日課は、草木を眺めるためというものに目的を変えて今でも続いている。
ランサードが教会中に花瓶を置くと、教会の雰囲気もいくらか変わった。活力をもたらす強い色彩の花から、色づく木々と調和する穏やかな色彩へ。花が違うだけでかなり違って見えるでしょう、と目を細めてニクソンは言った。
「これはどうするの?」ヴィルジニーはビニール袋に入った紫色のものを取り出して訊いた。採ってきたばかりのそれは瑞々しく、手袋を外したヴィルジニーの指先を紫色に湿らせている。花瓶の中はもういっぱいだが、棚の上、花瓶の周囲にあしらうには水気が多すぎるのではないだろうか。
「乾燥させて飾ります。あと、触ったらしっかり手を洗って下さいね。有毒ですから」
「……」
有毒、と聞いてヴィルジニーはそれをビニール袋の中にしまって自分の手をまじまじと見つめた。爪の先にも紫色は染み込んできている。「言うのが遅い」と小声で愚痴をこぼすと、ヴィルジニーはトイレへと向かった。
「強い毒ではないんですがね。根を食べたら死にかけるかもしれないというくらいで、あの指を口に入れたところでせいぜい腹痛になるくらいでしょうが……」
「だからって言わないのは人が悪いな」
「ジャガイモの芽の方がよほど危険ですから」
ふふ、と笑うニクソンにつられ、ランサードも笑みを浮かべた。首を傾けて軽くニクソンの頭に触れる。柔らかな癖毛が額に当たって気持ちが良かった。「ランサード?」と呼びかけるニクソンの声も彼の髪のように優しく日向の香りがする。軽く頭に口づけてから頭を離し、どうした、とランサードは訊いた。
「確認なのですが」ニクソンは壁に掛けたカレンダーを見つめている。「来週が、誕生日なのですよね?」
思いがけないことを言われて、ランサードは少しの間静止した。「違い……ましたか?」とニクソンは不安そうにランサードを見上げたが、間違っていない。ただ、自分の誕生日などというもう長いこと祝いもしていないものの話題が出て、少し戸惑っただけだ。そうだ、と頷くとニクソンはほっとしたように表情を緩め、「ケーキはどんなものがお好きですか?」と問いを重ねた。
ケーキか、とランサードは独りごちる。もう何年も口にしていない菓子と単語は現実味がない。大体、三十路の男が二人でケーキを囲むというのも画になりそうにない光景だ。
「甘いものはそもそも好きじゃない……」そう言いかけて、ランサードは表情が悲しげなものに変わりつつあるニクソンに気付いた。「……しいて言えばレアチーズが」
「レアチーズ、ですね」
ここにメモ帳があったら即座に大きな文字で「レアチーズケーキ」とでも書いているのだろう、ニクソンはうんうんと頷いて「レアチーズ」という言葉を繰り返していた。その様子は初めてのお使いを任された子供のようで大の男には似合わないものだったが、ランサードにとっては抱き締めたくなるほど可愛らしい仕草だった。
「何か食べたいものはありますか? パンとライスどちらがいいとか、その程度のことでも構いませんが。あとは、そうですね。欲しいものがあったら言って下さい。もう間近ですから準備出来るものに限りはありますが、それでも何とかしてみせますから」
「そ、そうか」
次々に質問され、その様子に気圧されながらランサードは返した。食べたいものも希望のプレゼントも特にない。何かにこだわる性質ではないし、そうやって何かを決めるのは苦手だから大抵のことは任せる。ケーキもレアチーズにこだわる必要はないし、そもそもデザート自体必要ない。
やっとの思いでランサードはそれらを伝えたが、ニクソンは少し不満げだった。子供と長く生活していて、誕生日会というものを盛大に行うことが日常になったニクソンにとって、ランサードのリクエストは物足りないのだろう。しかし、そんなものからは遠く離れて生活していたランサードには到底馴染めそうにない。残念そうなニクソンには申し訳ないが、今のところはこれで勘弁して貰おう。
「……本当に、何か希望はないのですか?」
駄目押しのように言われて、ああ、と頷いた。いくらひねり出そうとしても思い付かないのだ。ニクソンもそれでようやく諦めがついたようで、分かりました、と笑った。
「じゃあ、夕飯の用意をしますので。お二人は上でゆっくりしていて下さい」
言ってニクソンはキッチンへと向かおうとしたが、ランサードは彼の肩を掴んで少しだけ強引にこちらを向かせた。ランサード、と問いかけようとするニクソンの唇に自分の唇をそっと重ね、何も言わずに抱き締めた。初めは優しく、徐々に力を込めて。そして二人の身体が重なった時、ニクソンの肩が僅かばかり強張るのを感じた。
どのくらいまでならニクソンに痛みを与えずに抱き締められるかをランサードは知っているはずだった。初めての時に比べれば随分と優しい抱擁なのにどうして、と慌てて身を退いて、そこでランサードはニクソンの言葉の意味に気付いた。
「……どうしても刺さってしまいますね、これ」
苦笑してニクソンは首のロザリオを外した。ロザリオは鋭利なものではないが、硬質で角張っている。先ほどのように抱き合えば、お互いの肌に刺さってしまうのだ。
こうしてロザリオがどちらかの身体に刺さるのは初めてのことではない。今までにも数度経験があり、そのたびにどうにかしなければ、と二人で笑い合ったことだ。また忘れていた、とランサードは反省を覚えたが、ニクソンはその頬をひと撫でしてロザリオを差し出した。
「すみません。預かっていて下さい」
言われてランサードはロザリオを手に収めた。慌ただしくキッチンへ消えるニクソンを見送ってから、ランサードは手に残ったロザリオを見下ろした。
思えば、ロザリオをじっくり見つめるのは初めてのことだ。大概はニクソンの胸元にぶら下がっているのを見る程度だったし、それでも本腰を入れて見たことはない。チェーンは長く、心臓の所に十字架が来るようになっているらしい。宗派によってロザリオの細部が変わるのかもしれないが、信仰を持たないランサードにはよく分からない。
「ロザリオか……」
遠目には質素で少し地味でも、近付けばそれに雑さや妥協はなく、丁寧に作り上げられたものだと分かる。そんなところもニクソンと似ているな、と微笑んで、優しくロザリオを握った。
「ニクソン、手伝う?」
いつの間にかヴィルジニーも現れており、キッチンへ向かいながらそんなことを言っていた。お願いします、というニクソンの声。何を作るのか問うヴィルジニーの声はどこか浮かれて聞こえた。滞在が長いとか何とか責めるようなことを言っておきながら嬉しいんじゃないか、と苦笑して、ランサードは布巾でテーブルを拭き始め、ヴィルジニーの言葉を反芻した。
先ほどのヴィルジニーの問いが何を期待してのものかは分かっている。ニクソンと共にいたいと、そんなことが聞きたかったのだろう。それを分かっていて、つまらない詭弁でごまかした理由は――つまらない羞恥心、それだけだ。家を出て以来ろくな浮いた話もなく生きてきたランサードにとって、ニクソンとのことを知られるのは気恥ずかしいものだった。まだまだ子供だな、と自嘲的に口元を歪めて、ランサードは階段を上った。手伝いをしたい気持ちはあるのだが、三人で立つにはあのキッチンは手狭すぎる。キッチンで慣れない皮むきをするより、二階で少しは慣れてきたベッドメイクをする方が二人も助かるはずだ。

ランサードが階段を上る音を聞きながら、ヴィルジニーは黙々と海老の殻をむき、湯を張った鍋の中に投入していた。ニクソン曰く、今日は海鮮クリームパスタらしい。ホーイックは港が近いので、山中にありながら新鮮な海産物を食べることも出来る。ヴィルジニーはランサードと同じく食にこだわりがある方ではないが、この点については食事の出来ないマジックドールではなく諸器官を人間と同じくするバイオヒューマンとして自分を生み出したゲオルクに感謝したくなる。
鮮やかに茹で上げられていく海老を見守るヴィルジニーの横では、ニクソンがボウルの中のパスタソースを混ぜている。レトルトのソースではなく一から手作りの辺りがまめなニクソンらしいところだ。匂いを嗅ぎながら生クリームの量を調整するニクソンを横目に、女は家庭的な方がいいと言うがそれは男も同じなのだろうか、とヴィルジニーは考えていた。今度フェジテへ行く用事があったらフョードルかトロイにでも訊いてみたいものだ。
「あの、ヴィルジニー」
「何?」
ヴィルジニーがニクソンの方へ顔を向けると、ニクソンは困ったような顔でボウルの中を見つめていた。ボウルの中で何かおかしなことが起こっているのだろうかとボウルを覗きこんで数秒後、ヴィルジニーはニクソンが「ボウルの中を見ている」のではなく「自分から目を逸らしている」のだと気付いた。
ニクソンは何も言わない。ヴィルジニーが沈黙に飽き、海老に向き直ろうとしたその時「来週のことなんですが」とようやくニクソンが口を開いた。
「来週、ランサードは誕生日なのです。それで、あなたも気付いているとは思うんですが、私とランサードは……。……恋人同士でして」ためらいがちにニクソンの言葉は続く。「彼がどうかは分かりませんが、出来れば二人きりで、と私は考えておりまして」 「いいわよ。ええ、構わない」
言いにくそうなニクソンの声を裂くようにヴィルジニーは応えた。宜しいのですか、と言う代わりに眉を寄せるニクソンにもう一度頷いて、ヴィルジニーは「もう充分?」と一尾の海老を菜箸で持ち上げニクソンに訊いた。はい、と頷くと火を止めてフライパンの用意をするヴィルジニーの横顔がニクソンには上機嫌に見えた。不思議に感じるが、今はそれの追求よりもやるべきことがある。
「ありがとうございます。それと、少し知恵をお借りしたいことがありまして」
「ランサードの誕生日のメインディッシュとか、プレゼントの話でしょう。……手を洗って戻ろうとしたらそんなこと話してて、戻るに戻れなかったじゃない」
言われてみればヴィルジニーのトイレはかなり長かった。悪いことをしましたね、とニクソンは軽く頭を下げ、「それで、何かご存知ですか?」と訊いてみた。ランサードとヴィルジニーの二人旅が始まってもう数年が経過している。お互いの嗜好などはある程度分かっているはずだと期待するニクソンに反して、残念だけどとヴィルジニーはかぶりを振った。
「街では大概別行動だし、ニクソンが知ってる程度のことしか。悪いが、その辺りは協力出来そうにない」
「……そうですか」
落胆は隠しきれなかった。そうなるとまた一から考えなければならない。ランサードがどんな料理でも旨い旨いと食べる点はとても好ましいのだが、こういう場合はそれが困る。物に対する執着のなさも同じ。せめて何か一つくらいこだわりを持っていてもいいのに、と悩みながらボウルの中身をかき混ぜていると、隣のヴィルジニーが息を漏らす音が聞こえた。小さなくしゃみとも聞こえるそれが彼女なりの微笑だと気付いて、ニクソンは静かに瞠目した。
ヴィルジニーにも感情があること、それが日々発達すること、だからヴィルジニーが笑顔を見せる日があってもおかしくないということはニクソンも知っていた。とはいえ目の前で、どんなささやかなものでも彼女が笑ったことはニクソンに驚きをもたらした。遡ること数年前、ラウレンティアで対峙した時は機械仕掛けとしか思えなかった彼女が、今、目の前で年相応の娘のような笑みを浮かべた。それがニクソンにとっては驚きで、幼天使の成長のように喜ばしいものだった。
「そうやって悩むのも誕生日の醍醐味。大抵の人はそう言うと思うけど?」
「ええ――そうですね」
ニクソンも笑みを返し、窓から見える夕陽に目を細める。
「あと一週間、存分に悩めるというのもある種の贅沢かもしれませんね」

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