るーむ四季

父と餞


「ニクソン、いつ帰ってくるんだ?」
無邪気な顔の幼天使孤児に問われて、ニクソンは曖昧な笑みを返すほかなかった。
昼前の来訪者、イーヴルスイーパーの青年と天使を自称する女性の二人組と共にホワイトウィング・ラボラトリーへ赴くことを決めたのは数刻前。支度にはそうかからないのだが、子供達との別れのために、ニクソンは二人を宿に待たせている。
「さあ……ですが、そう遠くないうちには戻りますよ」
すぐに戻るとは言えなかった。抽象的な答えに首を傾げた少年の天使の頭を撫でると、ニクソンは「元気にしていてくださいね」と言った。
「うん。俺、ちゃんとチビのおむつも替えてやるよ」
「それはそれは。何とも頼もしいことです」
「あんたは嘘ばっかよ」そう茶々を入れたのは、一人の少女だった。歳こそ少年よりも下だが、表情は少年よりも大人びている。げえ、とわざとらしい声を上げて少年は後退し、「こっちに来んなよお」とどこか情けない声を上げた。
「こないだもそうじゃない。本棚の整理してくれるって言うから任せたら、本の後ろにムカデのおもちゃを入れて」
「いっやー、ケッサクだった。あんな悲鳴聞いたことねえもん、俺」
「何よ! 辛いカレーも食べれないくせに!」
きゃあきゃあと口論――もとい、じゃれ合いをする子供達をニクソンは微笑ましく見つめていた。
子供達は健やかに成長している。親がいないということ、自分が天使であるということに葛藤しながらも、それでもまっすぐに育ってくれている。彼らの親代わりのニクソンにとって、それはとても嬉しいことだった。
「――もういいだろ! さっさとどっか行けよお前! 俺はニクソンに用事があるんだよ?」
「私に?」
少年の言葉にニクソンが問い返すと、少年は驚いたように目を見開き、ばつが悪そうに目を逸らしてしまった。
「どうかしたのですか?」
「ん……えっと、その」
しばらく少年はモゴモゴと言葉を濁していたが、逃れられそうにないと悟ると、「ったく!」と言ってクローゼットの方へと向かい、ひきだしを開けると中をごそごそかき回し、手に何かを持って帰ってきた。
「ん!」
突き出すようにしてニクソンに差し出されたそれは、赤く光るミニカーだった。
「……これを、私に?」
少年の意図が掴めずにニクソンが問うと、少年は頬を染めて「受け取れよ」とニクソンの手にミニカーを押し込んだ。
「いきなりどっか行くなんて言うからなんも用意してなかったから、それ。持っててよ」
「でも、これは……」
言い淀んで、ニクソンはミニカーを見つめた。
このミニカーは、先月の少年の誕生日(厳密には、少年が森で拾われた日)を祝ってニクソンがプレゼントしたものだ。少年がずっと欲しがっていて、「誕生日は絶対これ!」と何度も何度も言っていたもの。プレゼントした時には飛び上がって喜んで、普段からあまのじゃくな彼が珍しく素直に「ありがとう」と言ってくれた、思い出の品。
「……いいのですか?」
「いいから持ってけって言ってんの!」
そう言われてもまだ合点がいかなかったが、しばらく考えてニクソンはようやく理解した。これは少年からの“餞別”なのだろう。
だが、やはり気は引ける。ニクソンは、このミニカーが少年にとっていかに大切なものであるか知っている。そんな大切なものを、いつ帰ってくるかも分からない自分が持っているということが、ニクソンをためらわせていた。
「あ、それじゃ私も」
傍らで見ていた少女も思い立ったように言うと、折り紙――それも、彼女が大事に集めていた金色と銀色の折り紙を取り出し、てきぱきと折り始めた。
「ねーちゃん、なにしてんの?」
「折り紙。ニクソンへのお別れのプレゼントよ」
「それ、いっしょにやる!」
隣に別の女の子が座って、その子がまた別の子を呼び、そしてあっという間にニクソンの周囲には孤児らが溢れた。彼らは手持ちのもので何かを作り、あるいは手持ちのおもちゃをニクソンに手渡した。
それらは折り紙の細工や小さなおもちゃ、ヘアバンドなどの他愛がないもの。しかし、生後間もない彼らをずっと見守ってきたニクソンには、それが彼らにとってかけがえのないものであることは分かっていた。だというのに誰も、自分にとってどうでもいいようなものをニクソンに差し出しはしなかった。
多量の贈り物をひとつひとつ鞄に詰めながら、ニクソンはふと目頭が熱くなった。しかし涙をこぼせば彼らは心配するだろう。これが今生の別れとなることはないだろうが、それでもお別れは笑顔で済ませたかった。
「こんなに沢山貰ってしまいましたね……お返しが大変そうです」
「お返しなんていらないわ」言ったのは少女だった。「だって、これが私達からのお返し。私達の大事なニクソン――“パパ”に出来ることだもの」
その言葉に、その笑顔に、ニクソンは膝をついてその少女を抱き寄せた。彼女の額にキスをすると、ニクソンは天使達を見渡し、満面の笑みでこう言った。
「これ以上ないほど、私は幸せですよ」


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